綾野剛の映画ムコク(武曲)の意味は?剣道の一本の条件は何?

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2017年6月3日公開の映画「武曲MUKOKU」。原作は人気小説家の藤沢周。主演は人気と実力を兼ね備えた綾野剛。共演が村上虹郎と前田敦子という豪華なキャストで話題を集めています。

また、ストーリーの重要なファクターとアクションシーンに剣道が使われるという珍しい映画でもあります。

今回はこの映画について剣道のことを中心にまとめてみます。


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武曲(むこく)とは

映画のタイトルである「武曲MUKOKU」は星の名前です。ひしゃくの形をした北斗七星に含まれています。ただし普通の星と違って二連星です。つまり、お互いの引力が影響し合って近距離で絡まりながら宇宙空間に存在している二つの星です。

ぶつかりもせず離れもせず存在している不思議な二つの星です。地球からの距離があまりにも遠いため、1つの星に見えます

原作者の藤沢周は、このタイトルにした理由を「二連星であること。武が矢田部(綾野剛が演じる主役)、曲が融(村上虹郎が演じる役)にふさわしいと思ったから」と述べています。

谷田部は父親に剣道を仕込まれた生粋の剣士。融は常に歌詞のネタ帳を持ち歩いているラッパーです。武と曲って見事にぴったりです。


剣道とは

映画の内容は別の記事に任せることにして、映画の根幹をなす「剣道」について書きます。

まず、剣道は「スポーツ」ではありません。稽古を続けることによって心身を鍛錬し人間形成を目指す「武道」です。

練習ではなく、稽古です。稽古の稽は「滑稽」の稽です。考えるという意味があります。「滑稽」は考えがすべることです。だから笑いを呼びます。稽古は、古(いにしえ)を考える事です。完成されたものに近づくために考えるのです。

もちろん近づいた後はオリジナルを追求して良いのです。しかし剣道の稽古は、試合に勝つのが目的ではありません。茶道や華道と同じく、正しさと美しさを追求します。


美しい体と心

「心身を鍛練」というのは、弱いものを攻撃したり、少数者を差別したり、他人の悪口を言ったりする心を押さえつけるという意味だと私は解釈しています。別の表現を使えば「心の広い人間になる」ということです。

そして心身の「身」は「身体」です。引き締まった美しい体を作り、美しい姿勢を維持し、心肺機能の持久力を向上させます。

剣道の目指す「人間形成」は、「試合に勝つ人間」ではなく、「強くて美しい体と広い心を持った人間」を作ることにあります。


遊び心

私はテニス歴30年以上なので自称テニスの専門家です。剣道はそろそろ3段を受けようかというレベルなので専門家ではありません。そんな私ですがテニスと剣道の大きな違いを感じるのは「試合の始まり」です。

「PLAY!」で始まるテニスと、「始め!」の剣道。テニスはやはり「遊びが進化したもの」です。もちろん真剣にやりますが、遊び心を忘れるとダメです。そして剣道に遊び心は無用です。


剣道の歴史

剣道を源流に遡れば、「日本刀の出現」へ行きつきます。世界に類の無い刀である日本刀は、緩やかなアーチ状になっており、鎬(しのぎ)といわれる厚み部分を持っています。これは、西暦1000年頃に作られ始めたようです。

その刀を持つ武士が権力を握ったのが1200年頃です。鎌倉、室町時代を経て戦国時代に突入するころには、日本列島の大部分で日本刀が普及しました。

その頃は剣道ではなく剣術でした。心身の鍛練などしている暇があったら相手を切らないと自分が死んでしまいますから、いかに相手を倒すかというテクニックが進化したのです。


江戸期の変化

それが変化したのは江戸時代です。刀で殺し合う時代が終わり平和な時代が200年以上続きました。その頃には相手を倒すテクニックを学ぶ場であるだけでなく、武士の生き方を学ぶ場へと変化しました。

武士の生き方とは、「正しいことをする」というシンプルなものです。武士という職業は、今でいえば「公務員+自衛官」です。まあほとんど自衛官的な要素は無くなっていくのですが、一応「殿様に危険があれば命をかけて戦う」という名目はあったのです。

1600年代は真剣を振ったり、木刀で木を叩いたりする稽古があったようです。それが1700年代には防具と竹刀が発明されて、相手を叩く稽古(打ちこみ稽古)が広まっていきました。

そういう訓練をやるのも武士の仕事だったのです。そして税や戸籍の管理、道路工事や治水工事の企画監督などの事務仕事をする公務員でもありました。今でもそうですが、わいろなどを受け取って自分の財産を増やすことも可能です。しかし、不正をおこなえば、税を納める人々の不満を盛り上げてしまいます。ですから、武士は質素な暮らしをすることと不正をしない信頼感が絶対に必要だったのです。


千葉周作

その後、江戸時代に生きる武士の生き方にマッチした「正しくて美しい」剣術をつくった代表的人物が1800年代に活躍した千葉周作だったのです。流派は北辰一刀流でした。

千葉周作の運営する剣道場は「千葉道場」または、「玄武館」と呼ばれ江戸の3大道場の1つでした。現代の「剣道」に彼が残した技術が多く残されています。

明治維新で武士が消滅したあと、剣術は下火になりますが、1900年頃には今の「型」つまり「日本剣道型」ができました。様々な流派を統合したのです。

叩く(切る)のは「面」「小手」「胴」。そして喉もとへの「突き」の4か所に限定。足をかけて倒す、足を叩くなどの技は禁止しました。この型を原点にして、「剣道」という言葉もできました。それから現代まで、大きなルールの変更がなく100年以上続いているわけです。


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剣術の流派

薩摩(鹿児島)の示現流(じげんりゅう)は、走るエネルギーを切るエネルギーと合体させる剣術です。剣道には「走る」という動作はなく、常に能の舞台のような「すり足」です。

直心影流(じきしんかげりゅう)では、足を切る技があります。剣道には足への攻撃はありません。

柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)には、体制を低くしてから攻撃するテクニックがあります。剣道では常に立った状態で攻撃します。

様々な剣術の流派があるのですが、1900年頃に「剣道」が生まれた時に採用されたのは北辰一刀流を中心にした「シンプル」なルールでした。映画「武曲MUKOKU」で使われるのは剣術で無く剣道です。つまり流派はありません。走って打ったり、しゃがんで打ったりしません。


全剣連(ぜんけんれん)とは

全日本剣道連盟の略です。テコンドーの協会が分裂していて問題が発生したり、バスケットにプロリーグが二つあって国際組織からペナルティを受けたりしていましたが、剣道にはこの団体しかありません。

ルールはこの団体が管理していますから、ぶれることがありません。


 

「1本」とは真善美

剣道の試合は一本を取ることによって決まります。一本には条件があります

・声が出ていて

・竹刀の先3分の1を使って、なおかつ弦(つる:竹刀の先端と手元の間に張っている糸のこと)の反対側の面を使って

・姿勢良く踏み込んで(ジャンプして打ったり、しゃがんで打ったらダメ)

・打っても良い場所を打っていて

・残心(ざんしん:打った後の相手にとどめをさせる姿勢)があるもの

というものです。非常に難しい感じがしますが、私の感じる一本の条件は「真善美」つまり「正しくて美しいかどうか」です。

そこが、当たればポイントになるフェンシングや、有効や技ありを積み重ねれば勝てる柔道との違いです。柔道はそのスポーツ的なポイント制によって世界に普及しましたが、「正しく美しい」という武道の世界からどんどん離れていきました。

そして2016年12月には、「有効」の廃止や、「技あり」は何回取っても合わせて一本にしないといったルール改正を発表しています。


まとめ

藤沢周が小説の題材に剣道を使ったのは、真善美を追求する独特の世界観に魅力を感じたからでしょう。

テクニックを磨くだけではなく、日本の武士が持っていた質素で公明正大な精神を学ぶ剣道は、スポーツ的な要素をもった哲学セミナーとも言えます。

その特殊性が、剣道をマイナー競技の域に置いているとも言えますが、時代に流されない強さを持っているとも言えます。

映画「武曲MUKOKU」では、そんな剣道がどう表現されるのか楽しみです。


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  • 2017 05.19
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