長野県の花見スポット2017!歴史秘話と桜が楽しめるお城はどこ?

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桜前線が日本列島を北上し、関東や関西では花びらが散り始める頃。ようやく花見のシーズンが開幕するところがあります。今回は、そんな地方のお城や城あとで桜の楽しめるところのうち、長野県の飯山城址と高遠城址について、お城にまつわるエピソードを紹介します。


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飯山城址公園(いいやまじょうしこうえん)

住所:飯山市大字飯山2749

飯山市は長野市の北にあります。城主は時代によって変わりましたが、上杉謙信の城と言って良いでしょう。謙信の本拠地はもちろん越後(新潟県)の春日山城(上越市)です。歴史の教科書にもよく出ている、戦国時代の代表的な城です。飯山城はそこから約40キロのところにあります。

戦国時代、最も有名なライバル関係といえば、上杉謙信と武田信玄でしょう。両者が何度も善光寺平(長野市)で戦った、「川中島の戦い」。武田信玄の領地へ太平洋側からの塩が供給されなくなった時に、敵国ながら塩の輸出を続けた謙信の義理人情など。二人からは美しいエピソードが多く残されています。

上杉謙信は織田信長を破ったことのある唯一の武将。武田信玄は織田信長が戦わなかった唯一の武将です。戦わなかった理由は簡単で、負ける可能性が高かったからです。つまり謙信と信玄は戦国時代最強の武将だったといっても良いでしょう。

残念ながら上杉謙信は手取川(富山県)で織田信長を敗走させた直後に脳溢血のため48歳で急死します。武田信玄も、徳川家康を敗走させ、織田信長と戦う寸前に病気が悪化し53歳で急死します。結局一番長く生きた徳川家康が天下を取ったわけです。

飯山城は、川中島から40キロほど北へ行ったところにあります。武田軍が上杉謙信を倒すために北上するのを防ぐ目的で作られた城です。本拠地のある春日山と川中島のちょうど真ん中あたりで、大きな千曲川(ちくまがわ)と山に挟まれた要衝にあります。ここを武田軍に突破されたら越後は武田信玄のものになってしまうという重要な城でした。

戦国時代らしく、小高い丘の上にあるお城です。現在、天守閣はありません。当時の遺跡としては、武田軍の侵攻にそなえて防御を固めるために、斜面を何段にも削った跡と、多くの石垣があります。工事の出来上がりを確かめるために、最後は上杉謙信自身が春日山からチェックに来たという記録があります。

謙信が最終チェックをした石垣や、斜面の段々、見下ろせば千曲川。ここを450年ほど前、武田信玄の軍が大群で襲いかかったのです。この丘は多くの血を吸ったでしょう。外堀代わりの千曲川と東に山という地形、地元の人たちの奮闘、そして春日山からの援軍によって城は持ちこたえました。武田軍は越後(新潟県)へ侵入するのをあきらめたのです。

現在は、天守のあったところが神社になっており、桜が平和に咲き誇る桜を見に多くの人が訪れます。下から見上げて武田信玄の心境を、丘の上から上杉謙信の気分を味わいながらお花見をされてはいかがでしょうか。

アクセスは、北陸新幹線飯山駅から徒歩約20分。またはJR乗換で北飯山(きたいいやま)駅下車、徒歩5分。車なら上信越自動車道豊田飯山(とよたいいやま)インターから15分です。公園の駐車場は大きくありません。満車の場合は、JR飯山駅の近くには市営駐車がありますから、そこからJRで北飯山駅へ一駅を列車、またはバスに乗るパークアンドライドがおすすめです。


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高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)

住所:長野県伊那市高遠町東高遠

もともとは高遠氏の城でしたが、戦国時代に武田信玄の城となります。信玄はこの城を重要な拠点として整備します。ここを今川氏や徳川氏を倒す戦いの拠点にしようとしたのです。そして城の改修を設計させたのが築城の天才、山本勘助だといわれています。するどい勘働きを「ヤマカン」というのは、彼の機敏な性質からきているという説もあります。

ここの桜は一般的な桜(ソメイヨシノ)ではなく、この地方固有の品種である、高遠コヒガンザクラです。ソメイヨシノに比べて赤みの強い花ですから独特の美しさがあります。一番上まで登って東側に立てば、群れ咲く桜の向こうに雪をいただいた日本アルプスの山並みが輝いて見えます。絶好の写真スポットですから土日はカメラを持った人が並びます。

信玄は高遠城主として自分の弟や息子を置きました。そしてここを拠点に、勢力を広げていきました。しかし織田信長とは同盟関係を結び、自分の娘(松姫)と信長の息子(信忠)を婚約させました。

しかし両雄並び立たず、結局信玄と信長は対立し、婚約は解消されます。しかし2人の愛は続いたようです。そして、信玄の死後、勢力の衰えた武田家を滅ぼそうと織田軍が高遠城を攻撃します。攻撃する織田信忠と城にこもる松姫。二人の心は複雑だったでしょう。

結局城主であった松姫の兄が、妹を甲斐(山梨)にある本拠地へ逃がします。そして残った3千人で、5万人の織田軍と戦い全滅します。高遠コヒガンザクラの赤みは、武田軍の兵士の血を吸って赤らんだという言い伝えがあるほどの激戦だったそうです。

その後、山梨の本拠地にいた武田勝頼とその息子は追い詰められ自害。戦国最強といわれた武田家は滅びました。高遠城は、武田軍の侵攻拠点でもあり、最後の砦でもあったわけです。

松姫は、その時21歳でした。幼い姪を3人つれて、八王子へ逃げました。そこで、ある人に保護されます。すぐに、信忠から「京都に来てほしい」と連絡が来ます。つまり夫婦として暮らそうという意味です。松姫はすぐ京都へ向かいます。しかしその途中で本能寺の変が起きます。

信忠は明智光秀と戦いますが、勝ち目が無いと悟り自害します。父親とおなじ6月2日が命日となりました。松姫は結局八王子へ引き返します。そして出家して生涯独身のまま過ごします。

織田信忠の子、秀信は母親がはっきりしません。一説によると母親は松姫です。武田家と織田家が対立する2年前に生まれているので可能性はあります。それが本当なら、織田信長と武田信玄はどちらも秀信のおじいちゃんとなります。

武田と織田のツワモノどもが戦った美しい丘に立ち、その日の松姫の心情を想像すると、桜の見え方も変化するかも知れません。

アクセスは、中央自動車道伊奈インターから30分です。カーナビ設定は「タカトオチョウソウゴウシショ」です。


まとめ

四月中旬からお城とともに楽しめる長野県の桜の名所を二つ紹介しました。お城の歴史を知った上で、お花見をすれば味わいも深くなるのではないでしょうか。お互いを尊敬していた謙信と信玄が戦った飯山城。愛する女性を一族もろとも殺す役目を、父の信長から負わされた息子が戦った高遠城

それぞれに深い歴史を刻んで今年も平和に桜が咲きます


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  • 2017 04.09
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