主体的で深い学びは必要か?アクティブ・ラーニングを疑ってみる?

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私の子どもが中学生だった7年前、土曜日に授業参観があったので行きました。子どものクラスは数学の授業がおこなわれていました。いわゆる一斉授業で、全員が黒板を見て先生の説明を聞き、そのあと練習問題を解くというスタイルでした。どこにでもある授業です。今回はその日に起こった私の変化についてまとめます。


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数学の先生が羨ましかった

自分自身が中学校の教員をしていても、数学の授業をじっくりみることはほとんどありません。昔は、数学の先生って良いなあ。社会と違って「考えさせる」時間がとりやすくて・・・、社会科は「説明を聞かせる」がほとんどだからしんどいわ。と思っていたものです。


数学の先生はラク?

数学の公開授業などを見ると、アルプスの少女ハイジのオープニング動画を見せてブランコの周期を測定し、授業に生かすなどの工夫があったりして、さすが数学!!と感じたものです。教職員数の関係で、数学の授業も何時間か、担当したことがある社会科の先生からは、「数学は楽よー」と聞いたこともあります。


茫然とする子たち

しかし、子どもの授業を参観して、その考えは間違いだと気づきました。数学は社会科に比べ、圧倒的に「ついていけない子」多いのです。子どもの学年は中2でしたが、3割以上の子は??状態で、途中で練習問題に取り組んでいる時間は茫然としていました。


先生のマンツーマン指導

そのときに先生は何をしていたかというと、生徒たちの間を歩いていまして、1人ひとりにアドバイスをしていました。ところが理解できない子に理解させるのは、すごく時間がかかります。1人の生徒さんに関わっている間に、他の茫然状態さんたちは、ぼーっとしています。


2極化する生徒たち

練習問題に取り組んでいる時間帯は、できる子はすぐにできてぼーっできない子は最初からぼーっ。この両極がほとんどです。その間先生はすごくがんばって、わからない子を教えています。しかし直接指導できるのは1人か2人です。


両極をつなげば?

その時思ったのです。この両極端のぼーっをつないだらどうなん? と。つまりわかる子がわからない子に教えるということです。いや教えるのは先生の仕事だから!と突っ込まれそうですが、その先生はわからない子全員を手当てできません


教え合いは禁止?

先生の教え方の研究は盛んですが、生徒を横につないでいく研究は進んでいないので、参観日における先生のような現状があるわけです。私の職場では、授業の無い時間に、校内巡視という業務があるのですが、そこで数学の授業をみると「教え合い」はありません。というか、数学以外も全くそんな様子はありません。これは日本の学校では普通だと思います。


なぜ数学を勉強するの?

なぜ教え合いや話し合いを取り入れないのでしょう?数学ならば 解法はいくつかあるわけで、正解を求めるのも大切ですが、自らの解法の美しさに快感を味わい、それを他人に披露して、感心してもらい、さらに気持ちよくなる、という経験が大切です。そうすることでさらに数学が好きになり、考えることが好きになり、発想が豊かになります。数学を学ぶ目的は、受験で高得点をとることではなく、そういう人を育てることです。そのためにも教え合いは効果的なはずです。


なぜ社会科を勉強するの?

社会科でも、他人に自分のアイデアや考え方を伝える能力は大切です。そして図やグラフを分析したり、それを使ってアイデアを説明する能力も、より大切です。ある程度の知識は必要ですが、大政奉還が何年かとか、墾田永年私財法を発令したときに天皇は誰か、といった知識は、社会に出てからそんなに役立たないわけです。


知識の定着?

体育でも、サッカーの授業で、インステップキックのコツをサッカー部員が指導する、という形があってもよいし、教えることで気づくこともあります。知識の定着度合い(どれくらい記憶に残るか)を研究した結果によれば、ただ聞いているだけというのは定着率が最も低く、人に話すのが 最も定着するとのことです。


なぜ教え合いが広まらない?

これだけ効果のある、話し合い・教え合い学習が広まらない理由は何でしょう?まずは前年度主義といわれるものでしょう。「普通と違うことは避ける」習性が教員にはあります。まあ生徒にもそれを強要しますから当然の習性ですね。基本的に教育現場は超保守的な性格を持っています。


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崩壊への恐怖

次は、生徒同士で話す事を許すと、学習と関係の無い話をするから、というものです。たしかにありがちです。ただでさえ私語によって崩壊しがちな授業で、話す事を許せばとんでもない状態になってしまう。それが公開授業なら、多くの人が見て入るので大丈夫だが、普段の授業でそれをやると無茶苦茶になりそうだ。それはあるでしょうね。


教師のプライド

さらに、やはり教えるのは「教師」であるべきだ。というプライドもあるでしょう。○○さんに教えてもらった方が、先生よりわかりやすかったとか、質問しやすいからまた○○さんに教えてもらいたい。なんていわれたら気分が悪いでしょう。そういうことも、生徒同士の教え合いが進まない原因かも知れません。


上下関係のみで教室をまとめたい

他に考えられる原因として、生徒たちを横の関係につなぐのが難しいという点もあります。これはそれぞれの先生のポリシーと関係していますが、授業中でも、いやな笑いとか、ひやかしとか、つまりヒエラルキーを感じる場面があるわけです。その時、いちいち「私はそういうのが好きじゃないのでやめてちょうだい」といいます。


疑っていたけれど

生徒たちは1秒で理解してくれます。ああこの先生は変だな!と。しかしその姿勢を見せておけば、生徒たちを横につなぐのは簡単です。これは人権感覚の問題だともいえます。アクティブ・ラーニングは必要か?疑っていた部分はありましたが、とりあえずこの参観日以来、グループ学習を研究する日々が始まったのです。

そのブログ

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  • 2017 01.27
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