白河小峰城のお花見2017の見頃は?残された歴史的悲話とは何?

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関東の桜が散っても、まだまだつぼみの地方があります。福島県もそんなところです。でも意外と近いのも事実。今回紹介するお花見スポット「白河小峰城」は上野から2時間半です。休日のロングドライブは福島へお花見というのはいかがでしょう?

福島を応援するには、現地に行ってお買い物や食事をするのが一番です

参考→福島県の花見スポットはどこ?お城の歴史と桜が楽しめる場所は?


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寛政の改革

住所:福島県白河市郭内1

江戸幕府が財政的にも、権威の面でもピンチになった時、それを救ったのが松平定信(まつだいら さだのぶ)でした。彼はこのお城の大将(大名)でしたが、東北地方を異常気象が襲った天明の大飢きんでも、白河地方に餓死者を出しませんでした。

その実績が認められ、27歳で江戸へ呼ばれて老中(今の総理大臣)になります

(引用元:wikipedia)

飢きんに備えてコメの備蓄倉庫を全国に作らせるといった政策の他に、贅沢を禁止したことで有名です。また、風紀を厳しく取り締まりました。

公衆浴場の多くが混浴だったのを禁止したり、いやらしい本を書いた作家を罰したりしました。朱子学という上下関係厳しく守る学問のみを認めて、それ以外を禁止しました。

禁止の多かった彼の改革は、江戸の民衆から「厳しすぎる」といわれました。しかし定信の堅苦しい改革が傾いた幕府をある程度立て直したのは確かです。


戊辰戦争

このお城で140年前に、新政府軍と江戸幕府を支持する武士たちとの激しい戦いがありました。新政府軍は薩長土肥が中心でした。それに対して、江戸幕府を守ろうとしたのが白河藩や会津藩などです。多くは東北の大名でした。

小峰城はその東北に入る入口に位置しています。ここを新政府軍に突破されたら、勝負は新政府軍に有利になります。そこで、東北連合軍は小峰城を守ろうと必死に戦ったのです。

1967年に大政が奉還され、江戸幕府(徳川家)が権力を手放します。その後始まったのが、その権力を武士に取り返そうとした戦争です。1968年が戊の辰年だったため、戊辰戦争と呼ばれます。九州での西南戦争も、武士が新政府と戦ったという意味では同じです。

1968年春には、小峰城が新政府軍に奪われます。東北連合は何度も取り返そうと戦いますが、7月には新政府軍に多くの支援が入ったため会津まで撤退しました。この瞬間に戊辰戦争の決着がついたという人もいるくらいの重要な戦いでした。

続い会津若松城が、1ヶ月で新政府軍のものとなり、その数カ月後に、元号が明治になったことを考えると、小峰城での3カ月に及ぶ戦いが江戸時代最後の戦いだったといえるでしょう。


戊辰戦争の銃弾あと

このお城は新政府軍との戦いで焼かれてしまいました。現在の建物は、1990年代に再建されたものです。

多くのお城が、鉄筋コンクリートで再建されていますが、このお城は木造です。140年前の戦いで傷ついた木材が再利用されているため、城の内部に入ると当時の銃弾あとが残っています


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140年前は、アメリカ人が二つに分かれて戦った南北戦争が終わって10年ほどたった時でした。アメリカの商人は、日本人が二つに分かれて戦っているのを見て南北戦争で大量に出た中古の銃を売りつけてきました。お城に残った銃弾あとは、アメリカの南北戦争でも使われた銃から放たれたタマのあとです。


生贄(いけにえ)

このお城は、松平定信がここで過ごすずっと前、江戸時代に入ってすぐに大改修が行われました。その時に、何度工事をしても、石垣が崩れる場所がありました。当時の人々はそんな時に、「たたり」の存在を信じていました。

そして、多くの場合、たたりをはらうために「人柱(ひとばしら)」が埋められました。人柱とは柱ではなく、神の怒りを鎮めるために人間をいけにえとして生き埋めにすることをいいます。


現場監督の娘が人柱に

このお城に伝わる伝説では、人柱を埋めることが決定したが、誰を生き埋めにするか決めかねて「今から一番最初にここ(工事現場)へ来た者を埋めよう」ということになったそうです。そして、城の偉い人たちが待っていると、何と来たのが作事奉行(工事現場の監督)の娘である「おとめ」さんだったのです。

おそらく、父親がなかなか帰ってこないので迎えに来たのでしょう。または父親へ食べるものを持ってきたのでしょう。お父さんはびっくりして、周囲に気づかれないように「あっちへ行け」と手をひらひらさせました。

おとめさんは、父親が喜んで「こっちへこい」と手を振っていると誤解して現場へ入ってきたそうです。父親のただならぬ表情に異常を感じた時は、時すでに遅し、逃げ回ったものの武士たちに押さえつけられて箱に入れられ、人柱にされました。その後は一度も崩れなかったそうです。

おとめさんの霊を弔うために植えられた桜は、140年前の戦いで城と共に焼けてしまったそうですが、同じ場所に植えられた2代目の「おとめ桜」が毎年奇麗に咲いています。

おとめ桜↓

小峰城↓

(引用元:白川観光物産協会ホームページ)

アクセス:東北自動車道 白河インターから車で20分(国道4号・294号線経由)


まとめ

江戸幕府のピンチを救った松平定信のお城。江戸幕府が滅びるのを止めようと、東北の武士たちが死守しようとしたお城。人柱の悲しいエピソードの残るお城。そして今は、すばらしいお花見スポット。見頃は4月中旬です。

福島県にある、お花見スポットをまとめた記事はこちらです。

福島県の花見スポットはどこ?お城の歴史と桜が楽しめる場所は?


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  • 2017 04.11
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