稀勢の里の父はボクサー?おしん横綱の親方が急死した理由は?

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2017年の大阪場所で、13日目に救急車で運ばれるというケガを負いながら、14日目と千秋楽を乗り切り優勝した横綱稀勢の里。涙の授賞式に感動した人も多かったのではないでしょうか。モンゴル人横綱時代が約20年続いた相撲界に、久々の日本人横綱が登場したということもあり、多くの人の心をつかんでいます。今回は、この横綱についてまとめます。


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稀勢の里とは

1986年生まれで、ダルビッシュ選手と同い年です。サッカーでは、本田圭祐選手や長友選手と同級生です。身長は187センチで、体重が175キロです。身長が高いですね。といっても近年は大型力士でないと幕内に上がれない傾向が強く、幕内平均身長は約185センチ、平均体重も約160キロです。ですから、稀勢の里は平均よりもやや上というレベルです。なお、結婚はしていません


出世スピード

序の口、序二段、三段目、十両と優勝はないものの、あっという間に昇進しています。中学を卒業してすぐに入門し、18歳で幕内力士となりました。これは史上二番目の若さです。いわゆる逸材であることは確かです。その後、19歳で小結に昇進します。これも史上4位の若さです。


そこから先は

その後、なかなか大関になれず、小結にいた場所は12もあります。幕内力士となってから42場所で大関になったのは、史上5位という「苦労人」でした。1年に6場所ありますから、7年かかっている計算です。途中で八百長問題があり、中止された場所もありましたから、実際は7年以上かかっています。また、大関になった力士で、小結を12場所つとめたのは、稀勢の里しかいません。


外国人力士の壁

時代が悪かったともいえます。ほとんどが日本人力士だった時代と違って、稀勢の里が小結になった頃は、朝青竜の全盛期です。その後白鵬の全盛期になりました。他のモンゴル人力士も強く、日馬富士と鶴竜は横綱になっていきました。そんな中で、突き抜けた強さを持つのは難しかった、というのが稀勢の里が昇進できなかった1つの理由です。


得意の形

稀勢の里は、もともと左利きです。ですから左のおっつけ(左の手のひらで相手の脇を押し上げる攻撃方法)が強烈です。相手の重心を浮かせて、そのまま寄り切るパターンが一番得意です。または、左の下手を差して、ひきつけることによって相手の体を浮かし、寄り切る形も得意です。


出身

生まれたのは兵庫県芦屋市です。2歳の時に、茨城県竜ケ崎市へ転居しました。その後、野球に取り組み、中学でも大型投手として活躍したようですが、野球の名門高校よりも相撲のスカウトの方に心が傾いたようです。お父さんもボクサー経験があるそうなので、1対1の格闘技系の家系といえますね。


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茨城県の県民性

竜ケ崎市は茨城県の中でも、千葉県に近く、県庁所在市の水戸からはかなり離れています。ですから、「怒りっぽい、忘れっぽい、飽きっぽい」といわれる県民性があてはまるのかどうかわかりません。また、茨城県人は口下手ともいわれます。細かいことを気にしないわりには怒りっぽいので、運転マナーも他府県より悪いそうです。茨城県出身の有名人としては、デーブ大久保さんがいます。


所属部屋と親方

鳴門部屋(現在は田子ノ浦部屋)です。親方は、おしん横綱として有名だった隆の里でした。だった、というのは元横綱隆の里、鳴門親方は、稀勢の里が大関に昇進する直前に持病が悪化し、亡くなったからです。享年59歳でした。現役時代から糖尿病に苦しんでいましたし、引退後も体重が増えていましたから相当体調が悪かったようです。また、弟子に対する体罰問題で調査を受けていたのもストレスになったのかも知れません。


息子が横綱に昇進した時に、スポーツ誌「スポニチ」へ稀勢の里のお父さんが、手記を寄稿しました。以下スポニチからの引用です。

まずは先代鳴戸親方に感謝しなければなりません。草葉の陰でさぞかし喜んでくれているのが目に浮かびます。厳しい教えと薫陶を受け、そのことをしっかり受けとめ精進してきました。本当にありがとうございました。

この書き出しだけで、教養のある人物だとわかります。そして続く文章がまた、すばらしいのです。そこでは、出世が遅かったという批判もあるが、そんなことは無く順調だったと考えていること、なぜなら、ハングリーな環境で育ったモンゴル勢が盾となっていたことと、日本人力士には、かつてないプレッシャーがかかっていたことを挙げ、厳しい世界を知らない息子には、大関で十分だと思っていたと親心を吐露しているのです。そして、今後については、次のように書いています。

 現在の閉塞(へいそく)した時代、日本人としての気概に乏しくなった時代に伝統文化、様式美を具現化した相撲は、相撲を通じて礼儀、作法、道徳等の日本の良さを見直し、知らしめるという義務使命があるのではないでしょうか。

また、上に上り詰めたときは自分もしくは家族のためということから手を離れて、国家のため日本の伝統文化に気概を持って伝承しなければなりません。

さて、これからが大変です。今まで以上に稽古をこなし、自分を律し、より勉強して名実ともに誰からも模範になるような立派な人間になるよう努力しなければなりません。

そういった意味で「おめでとう」と言うよりはこれからはなお一層頑張らなきゃいけないと思うと気の毒になったというのが本音です。


まとめ

私は、この文章を読んで、「この親にしてこの子ありだな」と心の底から感じました。本当にすばらしいお父さんです。親らしい感情を持ちながらも、冷静に自分の考えを主張できる点で尊敬します。相撲人気が下降してきたといわれて久しいわけですが、ここにきて本当に素晴らしい横綱が誕生しました。このお父さんが見守っている限り、稀勢の里は大丈夫でしょう。


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  • 2017 03.29
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