伊達公子の資産と経歴そして引退会見での名言とは?離婚した元夫の職業は?

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2017年9月7日、プロテニスプレーヤーの伊達公子が2度目の引退会見を有明コロシアムで行いました。

彼女はゴルフや野球よりもグローバルなスポーツであるテニスで、日本人として初めて世界の頂点に手をかけた偉大なアスリートです。

溢れるようなテニスへの情熱を感じさせた引退会見は、90年代の活躍を生で知っている私に深い感動を与えてくれました。

今回は、日本のスポーツ界にとって本当に大きな存在である彼女についてまとめます。


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90年代の活躍

京都のど真ん中で生まれ滋賀県で育った彼女は、テニスの業界では有名な四ノ宮(しのみや)テニスクラブにはいります。クラブのオーナーである竹内氏は医師でしたが、テニスを愛する余りにクラブを立ち上げた人です。

小学校・中学校時代の伊達公子は目立った選手ではありませんでした。同じクラブの木戸脇という女子選手が強く、全国的にも注目される中で無名の選手として過ごしていたのです。

そんな彼女でしたが、全国大会優勝が当然という兵庫の園田学園に進学しました。ここで最初のチャレンジがあったのです。全国トップクラスのジュニア選手が集まる高校で15歳の挑戦が始まったのです。

そこで彼女は二人の恩師に出会います。一人が部活の顧問である光国(みつくに)氏、もう一人は民間のテニスクラブでコーチをしていた小浦氏です。多くの部員は部活をしながら小浦氏のクラブにも行っていたのです。

 


とび抜けた運動能力

高校は尼崎の塚口、小浦氏のクラブは宝塚市だったので5キロほどの距離でした。70歳を超えた現在もコーチを続ける小浦氏の述懐によると、当時から伊達公子の運動能力はずば抜けていたそうです。

サーブを打つとき女子は肩が上手く回らないので、砲丸投げのようなフォームになりがちです。小浦氏はそんな女子達に対して「ボール投げ」をさせていました。テニスボールをコートの端から端まで投げさせるのです。

ノーバウンドで届く女子はもちろんいなくて、体全体を使うことや肘から先に出していくことなどを教えるのが常でした。しかしクラブに来た初日に伊達公子は小浦氏を大きく越えて後ろのフェンスまでノーバウンドで届いたそうです。それもライナーで。

「こいつはただもんちゃうな」と感じた小浦氏は彼女に独特のテニスを仕込みます。日本代表でもあり、海外でも活躍した彼自身がやっていたもので、できるだけ力を使わずにラケットを少しだけ振るテニスです。


人と違うことを恐れない

もちろん少しは振るのですが、普通の半分くらいしか振りません。小さく引いて小さく打ちます。そしてバウンドした直後のボールを打ちます。後に「ライジング」とよばれる打ち方です。

90年代の常識は、バウンドしたボールが跳ねたその頂点から落下してくるところを腰の高さで打つというものでした。当然ベースライン(コートの端)から2メートルくらい下がってプレーしていたのです。もちろん大きなスイングを教えられました。

ところが伊達はベースラインの上で小さく振って打っていました。ベースラインの内側(ネット側)で打つこともありました。普通の指導者なら「下がって打て」「フォローを大きく」と怒るところです。しかし光国監督はそれを認めたのです。

このスタイルは非常に難しいのです。やってみるとわかりますが、まずラケットの真ん中に当たりません。また、すぐにボールが返ってくるので相手の打つコースを予測していないとバウンドする場所に行けないのです。

 


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世界へ

だから足も人一倍速くないとダメです。相手のスイングを見て、ボールが打たれる前にスタートして瞬時に移動し、ボールを待つくらいでないとスタンスがつくれません。小浦氏は彼女のセンスとスピードを見抜いたのです。

革命的なそのテニスは彼女を全国クラスにしました。ショートバウンドで左右に打たれたら相手は追いつけませんでした。まるでネットの近くでボレーしている相手と戦っているような感じでエースをとられます。

そして高校3年生の時に、団体、シングルス、ダブルスのすべてに優勝します。そして卒業後にプロになり海外を回り始めました。当時は野茂がメジャーに行った直後で、海外で活躍するスポーツ選手はほとんどいませんでした。

サッカーの日本代表もまだワールドカップに出たことがなく、日本サッカー協会は代表戦の後に海外メディアと対応できる通訳もいなかった時代です。二十数年前の日本は本当に「内向き」でした。


日本社会への刺激

「女は家事で男は仕事」的な空気も濃く、「強い女性」は「ちょっとうっとうしい存在」と見られていた時代です。そんな90年代の古い価値観を変えていったのは伊達公子だったといって良いでしょう。

「男は度胸、女は愛嬌」とも言われた時代に、愛想が無くて度胸のある彼女はバッシングの対象にもなりました。しかしマイナーだったテニスを地上波で放映するレベルまで持って行った彼女は次第にヒロインとなっていきました。

特にウインブルドンの準決勝で当時ナンバーワンだったドイツのグラフをきりきり舞いさせたテニスは今思い出しても鳥肌が立ちます。試合開始が夕方だったため、第3セットの途中でグラフが暗いと抗議して中断しました。

6月のイギリスは日が長いので、まだ十分明るかったとは思いますが「このままでは負ける」と感じたグラフの作戦だったのでしょう。プロ選手ならおそらくどの選手でもそうしたと思います。

 

 


まとめ

結局翌日の試合は流れが変わってグラフが勝ちましたが、正々堂々を好むイギリスの観戦者は伊達に大きな拍手を送ったのです。世界中でおこなわれているメジャーなスポーツでも日本人が頂点にいけるとわかった瞬間でした。

その後、26歳でいったん現役を引退しますが、36歳で再チャレンジを始めました。「強い女性は美しい」という価値観を作った彼女が「挑戦に年齢なんて関係ない」という新たな価値観をつくったのです。
メモリッチ
そんな彼女の再チャレンジを支えたパートナーがレーシングドライバーでスエーデン人のクルム氏です。日本のメジャーなレースでも上位に入る実力の持ち主でした。昨年に離婚しましたが、よきパートナー関係は続いているそうです。

90年代の伊達は、テレビCMで活躍していました。おそらく年収10億は超えていたでしょうその資産で世界のセレブが住むモナコ公国に、元夫との住居を持っていました。現在も様々なスポンサーがついていますから相当な収入があるはずです。

引退会見に集まった報道陣の数を見ても、まだまだ「商品価値」の高いキャラクターであることは間違いなさそうです。

その引退会見では、再チャレンジを支えたものは何という質問に対して「テニスを愛する気持ち」そして「テニスに出会えて良かった」と答えた伊達公子。同じくテニスを心から愛する者として、彼女に心から共感しました。これからも日本のテニスやスポーツ界に良い刺激を与えてほしいと思います。

 

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  • 2017 09.10
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