壬申戸籍をわかりやすく説明してみた!見たらダメな理由は部落差別との関係?

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ヤフオクで明治5年戸籍という商品が2017年8月に出品されて問題になりました。なんと法務局が直接ヤフオクに連絡を入れて削除を頼んだというのです。

その削除依頼の根拠が「プライバシーを侵害するおそれがある」というものです。そして部落差別との関連もあるという報道がされているこの戸籍っていったいどんなものなのでしょう。

今回は、その明治五年戸籍、いわゆる壬申戸籍についてまとめます。


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戸籍とは

まず戸籍って何かということですが、これが不思議な名簿なんです。時代をさかのぼれば、7世紀に日本列島の大部分をヤマト王権が支配した時、住民の名簿を作ったのが始まりです。

住所と名前そして年齢、農地の様子などを当時の公務員が家庭訪問して紙にせっせと書いたわけです。まあ今ほど人口はなかったのですが、よくやるなと感心します。

目的は税を取るためです。大人の人数分は税をとろうとしていましたから何人家族がをきちんと調べたのです。しかも6年ごとに全国調査をして生まれた者、亡くなったもの、増えた農地などを記録しました。

そして防人(さきもり)という徴兵制度にも名簿が使われました。つまり、権力者が住民を支配する時に絶対必要なのが名簿なのです。それを戸籍とよびました。戸籍の「戸」は「家」と言う意味です。「籍」は「記録帳」という意味です。一軒ごとの記録ということですね。


飛鳥~平安

7世紀に作られた名簿はもちろん現在残っていません。正倉院には戸籍らしきものが残っているのですが8世紀のものと考えられています。その後、政府が班田収受制度を始めます。戸籍をもとにして大人になったら農地を与え、死んだら国に返却させました。

その後、鎌足の子孫が権力を握り続けた時代(奈良・平安初期)は、ずっと戸籍が作られました。ある意味、支配者としての鎌足はすぐれたDNAを残したと言えます。

しかし西暦1000年ごろからは、戸籍が作られなくなりました。理由を簡単にいうと絶対的な権力者がいなくなったからです。武士、寺、信者集団、貴族と天皇などがそれぞれバラバラに土地と人を支配していくようになります。

現代でいえば、シリアの中にイスラム国ができちゃったみたいな感じです。全国的な戸籍を作る意味もパワーも無くなっていくのです。それが鎌倉、室町と続きます。


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太閤検地

戦国時代には、自分の領地で戸籍をつくった大名もいたかも知れません。しかし全国的に戸籍をつくった大名はいませんでした。

久しぶりに日本の戸籍をつくったのは豊臣秀吉です。またまた家庭訪問、農地訪問をして、刀を取り上げたり、農地の面積を測ったりしました。

しかし彼の支配期間は短かったので結局全国すべての調査はできませんでした。その後、江戸時代になりましたが、江戸幕府はもちろんそんなめんどくさいことはしませんでした。

地方にいた大名がそれをしようとしたのですが、それも無理でした。結局江戸時代は、お寺に戸籍を作らせたのです。


檀家制度

つまり全員を仏教の信者として、どこかの寺に登録するというシステムです。これも凄いアイデアだと思います。葬式があれば、その寺のお坊さんが来てくれるわけです。登録しておかないと葬式ができません。

そんなのでしたから、江戸時代が終わった時に、新しい明治政府が欲しかった戸籍を幕府は持っていなかったのです。というか作っていなかったわけです。かといって全国の寺から名簿を集めても正確がどうかわかりません。

その時の政府には、「富国強兵」という目標がありました。欧米に追いつくためには、きっちり税金をとって強い軍隊を作らないとダメだと確信していたのです。

そして軍隊をつくるためには、成人男性を徴兵して軍隊に入れ、訓練しないといけません。きちんとした名簿(戸籍)が無ければ軍隊へ呼ぶことができません。


明治4年

というわけで、明治維新といってもまだ廃刀令がでていない時、つまり刀を腰に差している人がいた時に急いで戸籍を作ったのです。それが壬申(じんしん)戸籍です。壬申と言うのはサル年のひとつで1872年がそれでした。

その名簿には、身分を書く欄があったのです。もと武士だった家には「士族」と書かれました。江戸時代には「僧」とか様々な身分があったのですが、明治政府の方針ですべて「平民」となりました。

ですから壬申戸籍という名簿のほとんどは「平民」です。しかし、地方によっては「平民といっても元の身分を書いた方が良い」というデマを信じた役人がいたのです。今でもいますよね、しなくても良いのにわざわざ仕事を増やす人。

そういう人が「平民」の下に、「農」とか「商」とか「エタ」とか書いたのです。書いてない地方もあるそうですが、書いた地方もあるようです。

 


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自由と平等

まあそう書いてあること自体は大きな問題ではないのです。江戸時代の身分がどうだろうが、明治維新によって身分解放令が出され、職業や移転の自由が保障されたのですから。

江戸時代、職業は親と同じで引っ越しは禁止でした。それが自由になったのですから、名簿になんて書いてあろうと関係ないはずです。ところが、江戸時代よりもひどい差別が始まったのです。それが部落差別です。

江戸時代、エタ身分の人はエタ村に住んでいました。エタ村の数は日本全体で5000ほどです。そこで、特殊な技能を生かした職人として生きていました。その技能とは「牛や馬の皮革加工」「竹加工」「染色」「霊能師」などです。

ある意味独占状態でしたから、生活自体は貧しくありませんでした。江戸のエタをまとめていた人は大金持ちで知られていました。ところが明治になって職業が自由になると、それらの仕事を奪われていき、5000か所のエタ村は貧困に沈んでいきます。

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身元調査

そして、元エタだった人に対しての差別が始まりました。同じ平民としては認めたくないというものです。結婚は破談になり、就職は断られました。その結果、仕事に就けない人が多く、さらに貧乏になるという悪循環が始まりました。

その結婚や就職の時に、調査資料として使われたのが壬申戸籍だったのです。戸籍は最近まで誰のものでも見れたのです。結婚したいと子どもが相方を連れてきたら「本籍地はどこ」と尋ねて、その役所へ行けば戸籍を見て調査できたわけです。

それが1960年代になっても続いていました。どんなに優れた人でも先祖の身分によって結婚や就職がダメになるという悲劇が繰り返され、運動団体の抗議もあって国は1970年頃に全ての壬申戸籍を回収して見られないようにしました。

元エタ身分だった人は、エタになった理由などないのです。犯罪者だったとか奴隷だったとか外国から来たとか様々なデマがありますが、全部嘘です。江戸時代の身分は自然発生です。「なぜ武士になったのですか」「なぜ商人だったのですか」と尋ねる人はいません。

 

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先祖は誇るべき

戦国時代に社会が崩壊したあと、みんな自分に合った職業に就いていったのです。だから自然発生です。豊臣秀吉の出身が武士の家庭ではなかったという話は有名です。刀を捨てて商人になった人もいます。

この現代社会に江戸時代の身分を引っ張り出して差別しようとする人がいるから壬申戸籍は秘密になったのです。差別が無ければ、図書館で見ることができたでしょう。

そして「わたしの祖先ってエタなんだ」「革製品を作ってたんかな、クールう」「げっ 私の祖先は武士」「刀で人を切ったのかな」とか言って楽しめたのです。

イギリスで罪を犯した人が送られていたオーストラリア大陸では、何割かの国民は祖先が犯罪者です。しかしオーストラリアの国民は祖先を調査して差別したりしません。今、目の前にいる人はどんな人かで判断します。日本もそうなるといいですね。


 

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  • 2017 08.28
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