本能寺の変は秀吉の謀略?明智光秀は江戸時代まで生きていた?

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日本史の大事件ベスト10っていうのがあれば、必ず入ってくるのが「本能寺の変」じゃないでしょうか。

戦国時代の主人公で下剋上の時代のカリスマだった織田信長。

敵は服従させるか殺すかだった残酷なリーダー。 

京都の本能寺でその織田信長が死んだという事件です。

今回はこの事件の真相に迫ってみます。


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なぜ有名な事件なの?

 

最高権力者だった

 

この事件ってインパクトが絶大ですよね。

 

まずなんといっても日本の歴史で一番インパクトのある人物である織田信長が殺されたという事実。

 

 

まあ実際は自害したということらしいですが。

 

そして彼が最高権力者であったという事実。

 

最高権力者が殺されるって外国ではよくありますが、日本ではほとんど無いんです。

 

本能寺の変以外だったら、蘇我入鹿が殺された大化の改新とかぐらいじゃないでしょうか。

 

戦前には5・15事件とか総理大臣が殺されるっていうのが何件かありましたけど、当時は天皇が最高権力者ということになっていました。

 

やはり本能寺の変っていうのはそういう意味で特別です。


○○の変って他にある?

 

そして「変」という事件名です。

 

「変」っていうのも他にありません。

 

「乱」っていうのは承久の乱とか応仁の乱とかありますが。

 

それ以外にも最高権力者が部下にそむかれたというのも珍しい事です。

 

 

大多数の日本人には、権力者を倒すってコードはプログラムされてません。

 

世界史をみれば、ヨーロッパでも中国でもあるあるですけどね。

 

というわけでいろいろと衝撃的な事件なわけです。


矛盾点

 

なぜ本能寺に泊まった?

 

しかしこの事件

 

不思議な事があります。

 

まず

 

なぜ本能寺に宿泊したのか、です

 

これは秀吉が岡山県で苦戦しているので応援に行こうとしたわけです。

 

それで、滋賀県の安土から出発したのです。

 

これって豊臣秀吉が「負けそうだから助けて!」って主人の信長に連絡したから

 

わざわざ出張ったわけです。

 

でもね、秀吉って全然苦戦してないですよね。

 

 

というか戦ってないでしょ。

 

あの人の戦法って兵糧攻めとか水攻めとかです。

 

自分が戦陣にいるときは、とにかく血を流さない戦いしかしません。

 

敵の毛利さんも、無駄に兵力を失いたくないので、まあにらみあっていたって感じですよ。


 

なんで応援を頼むの?

 

これって秀吉が信長を殺すために安土から引き出す作戦じゃないの?って普通考えませんか?

 

なんせ信長が安土城にいる限りノーチャンスですからね。


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秀吉の動機

 

ブラック企業

 

秀吉って信長にメチャクチャこき使われていますよね。

 

もうホントブラック企業の社員って感じで。

 

さらに信長の靴(草履)を下着の中に入れてあたためたりして、気をつかうといえば聞こえはいいけど、そこまでやらなあかん関係だったとも言えます。

 

そんで、各地の戦国大名と戦ってこいって命令されて東奔西走していたわけです。

 

日本各地に古城がたくさんありますが、秀吉軍に降参したっていう記録のある城は数えきれません。

 

もちろんほとんど戦わずに勝っていますよ。

 

城を包囲して、「負けを認めろ」って使者を送っておしまい!っていうのが多いですからね。

 

今風にいえばM&Aですね。

 

どんどん吸収合併して独占企業になっていくっていう。


下剋上

 

自分が秀吉だったら、絶対に信長を倒しますよ。

 

ここまでになったのは誰のおかげやねん!って思いますからね。

 

それで、明智光秀と相談して「やってまおか」となった、と。

 

この明智は本当に有能だったんですよ。

 

 

しかも信長とちがってやさしい人で有名でした。


明智光秀

 

秀吉も明智に人望があるのを認めていたと思いますし、絶対に敵にまわしたらあかんなとも考えていたでしょう。

 

そこで、信長を倒した後はナンバー2にするという約束をして、暗殺計画に引き入れた、と。

 

信長も多分、秀吉っていつ裏切るかわからん曲者だと思っていたと思います。

 

だからとにかく遠征させた。

 

しかし信長も明智は信用してたでしょう。

 

だから防御の薄い本能寺でも「明智が近くにいれば大丈夫」てな感じで。

 

しかし暗殺成功後に、秀吉の大技が出ます。

 

 

最大の功労者である明智に「裏切り者」レッテルを貼って、家来に「明智を捕まえろ」と命令するのです。

 

おいおい裏切り者はお前やろ!って明智はツッコんだでしょう。


明智は生きた

 

その辺の人に殺される?

この明智、京都と滋賀の間あたりで、ご褒美目当ての村人に殺されたということになっています。

 

 

これって絶対あやしいでしょ?

 

明智って実戦に強い護衛が何人もついているんですよ。

 

すごい良い人なので命がけで明智を守るっていう家来がいっぱいいたんです。

 

そんな一行が、その辺のおっさんにやられる?

 

絶対ないでしょ!そんな展開。


秀吉との約束

 

これは、秀吉が会ってますって本人と。

 

「ホンマにすまんけど、自分、死んだ事になってくれへん?」って。

 

「ほんで、ワシのブレーンやって!」

 

「そしたらいろいろ丸くおさまるし」

 

もともと欲のない明智は了解したでしょう。

 

 

そして、明智はその後も生き続けます。

 

そして実は江戸幕府設立にも貢献するのです。

 

だから、徳川家康をまつった日光東照宮に、明智の家紋である桔梗が刻まれている建物があるんですよ。

 

 

以上、私の信じている本能寺の変の真相でした。

 

信じる、信じないは個人の自由です。

 

しかし歴史には謎が多いのも事実です。


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  • 2018 03.20
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