24時間テレビスペシャルドラマ2017のモデルになった阿久悠はどんな曲を書いた?

  • 24時間テレビスペシャルドラマ2017のモデルになった阿久悠はどんな曲を書いた? はコメントを受け付けていません。

この記事は3分で読めます

Pocket

24時間テレビ2017のスペシャルドラマが発表されました。「告白~勇気を出して伝えよう~」というタイトルで、作詞家・阿久悠(あく ゆう)の生涯を描くようです。阿久悠役は亀梨和也、その妻を演じるのが以前にチャリティパーソナリティーをつとめた松下奈緒です。

現在50歳以上の人にとって阿久悠は知らない人はいないくらいの有名人ですが、若い人たちにはあまり知られていないでしょう。

今回はそんな阿久悠について、その生涯や代表作品、そして個人的な感想をまとめます。


スポンサーリンク


ペンネーム

阿久悠は兵庫県の淡路島出身です。兵庫県ではかなり有名人です。淡路島の人で知らない人はいないでしょう。淡路島といえば、阿久悠・上沼恵美子・玉ねぎの三つを挙げる人が多いのではないでしょうか。

私個人としては魚のおいしさが一番だと思いますが。

さて阿久悠は本名が別にあります。阿久悠はペンネームなんです。「悪友:あくゆう」をもじったという話はこれまた有名です。要するに子ども時代、一緒に悪さをした幼なじみっていうのは特別な存在という意味です。

それをペンネームにした阿久悠は、何歳になっても悪友との思い出を大切にしようとしていたのです。


小説

そんな悪友を思い出しながら書いた小説が「瀬戸内少年野球団」です。故・夏目雅子主演で映画化されました。

太平洋戦争直後の淡路島を舞台に、小学校5年生から6年生にかけての少年たちとその担任を描いたヒューマンドラマです。

個人的には、夏目雅子の扮する先生が教科書の軍国主義的表現や天皇の神格化に関する表現を生徒に墨で塗りつぶさせているシーンが印象的でした。

さらに戦死したと知らされていた先生の夫が片足を失って帰ってくるシーンも複雑な心境になりました。実家では夫の弟との再婚話が進んでいたからです。

いずれも当時はありふれた話題だったのでしょうが、今から考えると無茶苦茶な話です。1937年生まれの阿久悠は終戦の年に8歳です。混乱した日本社会を淡路という場所から悪友とともに見ていたのでしょう。


淡路の地理的特徴

瀬戸内少年野球団の登場人物には、大阪で事業が当たって大金持ちになった人物が出てきます。また、上沼恵美子など実際に大阪でメジャーとなった人もいます。

阿久悠の持つ鋭い感性は、田舎でありながら意外と大都会に近いという淡路の風土が育てたといえるでしょう。地縁血縁の濃い島の生活と個人主義の都会がどちらも身近にあったことで多面的なものの見方ができるようになったのかも知れません。

阿久悠は島の高校を卒業して東京の明治大学へ進学します。これも少し珍しい進路です。明治大学に合格できるだけの学力があれば淡路では普通、京都の同志社か地元の名門・関西学院(かんせいがくいん)に進みます。

参考→ブルゾンちえみは陸上選手だった?24時間テレビ2017のランナーの体重は?

リンク→24時間テレビ2017のテーマは告白だからマラソンランナーは生田斗真?


スポンサーリンク

これはやはり彼の両親が九州出身だったということに関係しているのでしょう。淡路島で生まれ育っても両親のDNAは阿久悠に関西人であるという自覚を芽生えさせなかったと言えます。島の人間は、島内か島外かを意識します。阿久悠一家は島外者なので、完全には溶け込みにくかったのでしょう。

ルーツは九州、生まれ育ちは淡路島、大学は東京という彼の生い立ちは非常に珍しいものです。しかしその希少性が独特な詩の世界を作ったのかも知れません。


代表作品

さて私が大好きな彼の歌詞は何と言っても「勝手にしやがれ」です。もともとは古いフラン映画のタイトルですが、これをパクった勇気も大したものです。

歌の出だしがいきなり「壁際に寝返りうって」ですから、聞いている人は本当に意外だったでしょうね。普通は「汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる」とか情景の描写でスタートしますからね。

いきなり壁際? 寝返りってふとんとかユカでうつんじゃないの? で、誰がうつの?みたいな「非常識さ」がとても新鮮でした。しかも曲は現在「名探偵コナン」を担当している大野克夫でした。得意の切ないメロディが阿久悠の歌詞にぴったりはまっていました。

しかも5(かべぎわに)・7(ねがえりうって)の和歌リズムも完璧です。

 

参考→ブルゾンちえみは陸上選手だった?24時間テレビ2017のランナーの体重は?


阿久悠の世

1970年代後半、ヒットチャート上位は阿久悠だらけという状態でした。一斉を風靡したという表現がぴったりあてはまる状況だったといえます。

阿久悠が変えた歌謡曲の歌詞ワールドは、その後標準化されていきます。つまり阿久悠に影響を受けた人たちがミュージシャンになっていったといえるかも知れません。

それを公言している人もいます。つんく♂もそうです。彼は1968年生まれですから、阿久悠全盛期に小学校高学年です。耳にする歌謡曲の多くは阿久悠だったのでしょう。中2でギターを始めた彼の作詞に影響を与えたのは必然でしょう。

私も含め、1960年代に生まれて作詞作曲をしている人は多かれ少なかれ阿久悠のパクリを実行していることでしょう。もちろん無意識に。

 

関連→24時間テレビのチャリティパーソナリティーって何をするの?どのコーナー担当?


石川さゆり

私は演歌と距離のある人間ですが、「津軽海峡・冬景色」は名曲だと思います。この作詞も阿久悠です。「上野発の夜行列車降りた時から」と、やはり唐突な出だしながら聞くものをぐっとひきよせます。

そして5(うえのは(つ)の)、5(やこうれ(っ)しゃ)、7(おりたときから)というまたまた見事な和歌リズムです。

晩年は保守系雑誌や新聞に連載をもっていた彼です。日本の伝統的な文化を心から愛していたのでしょう。

しかし古いものを大切にする一方で、常に新鮮さを追い求めていました。これこそが真の保守思想です。単なる懐古が保守だと思われがちな現代に対して阿久悠の新鮮なコメントが聞きたいのは私だけでしょうか。

参考→ブルゾンちえみは陸上選手だった?24時間テレビ2017のランナーの体重は

関連→24時間テレビのチャリティパーソナリティーって何をするの?どのコーナー担当?


スポンサーリンク


 

  • 2017 06.24
  • 24時間テレビスペシャルドラマ2017のモデルになった阿久悠はどんな曲を書いた? はコメントを受け付けていません。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

コメントは利用できません。

カテゴリー